大三萬年堂と龍野の歴史

大三萬年堂

本店

電話番号 0791−62−0120
営業時間 8:30〜18:00
定休日 不定休
駐車場 あり
住所 〒679−4165
兵庫県たつの市龍野町本町47−2

龍野ショッピングセンター店

営業時間 9:30〜18:00
定休日 不定休
駐車場 あり
住所 〒679−4139
兵庫県たつの市龍野町堂本岸ノ下11
龍野ショッピングセンター内

龍野の歴史

播州平野の西部に位置する城下町、龍野。
龍野藩5万3千石の面影から“播磨の小京都”とも呼ばれ、今もなお市街地には城下町の町割りが残ります。
龍野は町の東側を流れる揖保川(いぼがわ)と、瀬戸内海を利用した水運の発達により、古くから「しょうゆ」の産地として発展しました。
播磨平野を中心として、品質の良い播州小麦が産出され、近隣の佐用・宍栗両郡からは三日月大豆と呼ばれる良質の大豆を収穫。
さらには、町の南西部にある赤穂で赤穂塩が生産されるという、原料入手にはきわめて恵まれた場所に位置しています。
その他、そうめんの生産地や童謡「赤とんぼ」の作詞者、三木露風の生誕地としても知られています。

しょうゆづくりの起源

龍野の“しょうゆづくり”の起源は、天正年間。
1587年(天正15年)円尾孫右衛門長村が酒・しょうゆ醸造業を興し、続いて1590年(天正18年)横山五郎兵衛宗信が、同じく酒・しょうゆ醸造業を始めました。
当初は、しょうゆよりも清酒業が発展し、享保・元文年間(1716~1741年)には清酒醸造業者は100軒を超え、「龍野酒」と呼ばれて近隣諸国にまで出荷するようになりました。
しかし鉄分が少ない軟水の揖保川は酒の醸造に不向きだったため、清酒業は次第に衰え“しょうゆづくり”に転業していきます。
当初は通常のしょうゆから始まりましたが、1666年(寛文6年)に円尾孫右衛門長徳により淡い色のしょうゆ製造技術が開発されます。こうして「淡口しょうゆ」(=薄口しょうゆ)が誕生しました。
1672年(寛文12年)には龍野城主の脇坂安政が他国にない淡い色のしょうゆを「国産(=領内物産)第一之品」として生産を奨励し、産業の保護・育成策を採り、「淡口しょうゆ」は、龍野の特産品として強固な地盤を築きます。そして主に京都、大坂に出荷されるようになり、現在の近畿地方を中心とした「淡口しょうゆ」の食文化が形成されました。
今もなお龍野といえば「淡口しょうゆ」の産地として有名です。

大三萬年堂の歴史

江戸中期創業、約360年の歴史を誇る老舗和菓子屋『大三萬年堂』。
初代三右衛門は龍野から10キロほど離れた新宮町大屋の出身で、当時龍野の城主であった赤松氏に仕えていた武士だったといわれています。三右衛門は赤松氏が秀吉に龍野城を無血で明け渡した際に武士をやめて商人となり、菓子屋を始めます。
大屋と三右衛門の頭文字と菓子屋が萬年続いていくよう願いを込めて名付けられた『大三萬年堂』は龍野城からまっすぐに延びた商人町の本町にあり、創業時から変わらない場所に位置しています。
今もなお、店先には江戸中期に龍野藩主脇坂家に納めていた市販禁止の砂糖菓子「長生殿(ちょうせいでん)」の木型が残っており、この木型を「留型(とめがた)」と呼び、大切に守り続けています。江戸期に使われた菓子の木型は約六百個残っており、龍野歴史文化資料館で展示されたこともあります。
そんな『大三萬年堂』は現在で12代目。
家族代々、伝統の味を受け継ぎ、変わらない美味しさを提供しています。
防腐剤や添加物などは使用せず、素材本来の良さを活かした昔ながらの和菓子はお子様からお年寄りまで安心してお召し上がりいただけます。